リアル指向

普段、テレビを見ていないのだが(というかそもそもテレビにアンテナがつながっていないしコンセントも刺さっていない)、実家に帰ったおかげてTVを見た。幸い、ほとんどがオリンピックか高校野球で、これらの番組は、昔からキライだったし、とくに番組に変化はなく、最近のTVの凋落ぶりを目にせずにすんだ。

とはいえ、これだけあふれているコメディ番組を目にしないわけにはいかず、やはりその、どうしようもなさが目についた。たとば、さんまのまんま、とか。昔はあんなに面白かったのにねえ。

ケータイ&インターネットが持つ破壊力は凄まじく、雑誌も、テレビもやられっぱなしだし、料理の作り方やら、旅行案内やら、グルメ情報やら、もうはやなんでもみんなインターネットで無料、という世界だ。テレビが面白くなくなっているのは、よくわかる。雑誌だって面白いと思わない。

だからといって、インターネットがとんでもなく面白いともおもわない。(あるいは思わなくなった)昔は(というと老人の懐古主義のようだが)、インターネットはどこか特殊な人間が新しいものを見つけた、という雰囲気があったが、いまでは、残念ながら、その大部分が、暇を持て余している人々の場所という雰囲気になってしまっている(と私は感じている>現実はどうあれ)

たとえば、アルファブロガーという小飼という人に対しても、彼がお金持ちだし優秀なプログラマーらしいということも知っているし、そのブログもそれなりに面白いのだが、しかし、どうしても、暇な人だなあという感想を持ってしまう。

私自身がインターネットと、ずれてきているからだろうけど。

と、ここまでが実は前ふりで、本題はWiiのコマーシャルを見たことにある。

Wiiがゲームとして優れた発想を具現化した商品で、私もほしいなと思うものなのであるが、しかし、そのCMでおじいちゃんと孫が、楽しくWiiのテニスゲームをしているのを見て、私が率直に思うのは、だったら、リアルなテニスしたらいいじゃないの。ボールとラケット2本。1万数千円。ソフトよりは高いが、ゲームするよりいいんじゃないか? 

クーラーの効いた部屋で、それほど練習しなくても、力を入れなくても、ぽんぽん打てるから、ゲームの方がいいって? まあ、だから、仕事もせずに引き蘢ってインターネットやってる奴が増えちゃうわけでしょうが。汗水たらして、重いもの持って、嫌なことにも耐えて、そうやってお金を稼ぐってことの意味が、部屋の中でゲームで、テニスをやった気になっている奴には、分からなくなってしまうでしょ。

というのは脱線。

Wiiにしてもそうだが、大失敗のセカンドライフも、あるいはGoogleストリートビューも(これらは、ボルヘスの「実物大の地図」を思い出させる)、ほんと、だったら外に行ったら? と思ってしまう。

これからが本題。

実のところ、外に出る、というのが、いま私のなかで向かっている方向なのだ。十代も二十代も本とマンガとゲームと映画だった人間が。

子どもの頃あんなに嫌いだったキャッチボールが、実に楽しい。この炎天下だと、10分もやれば汗だくだ。息も上がる。しかし、そのあとの麦茶がうまい。Wiiをやったのでは、この味はありえない。子ども頃、嫌でもやったから、いま、子ども相手にキャッチボールしても、子どもより上手い。(いずれ追い抜かされるとはいえ)

あたりまえだが、散歩するにしたって、汗だくになる。それでも街を探索するのは面白い。知らない路地に入る時のワクワク感は、ストリートビューではあり得ない。

だから、みなさん、家を出ましょう、というような教条的な主張をするつもりはない。(ま、その方がいいと思うけど、それが主旨ではない)

これからのトレンドは、Web3.0なんていうようなものではなくて、実際に身体を動かす、実際に出かける、実際に会う、まさにリアルが流行するのだと。たとえば、自転車はここ数年、流行している。もちろん一部の人だけだが。あるいは、スポーツやアウトドアもお金持ちでファミリーだと、かなりの確率で、やってます(私は金持ちじゃないのでやらせてませんが)。

私が何を言いたいかというと、未来を予測したとき、インターネットや携帯電話は、実用的な部分は残るけれども、娯楽の側面(コンテンツそのものを楽しむ)部分は小さくなっていくだろうと言うことだ。ブログのような。

もしそうだとするならば、TVも雑誌も新聞もガイドブックもいらない、ケータイかインタネット接続料を払うだけ、という世界で、リアル指向が流行したとき、いったい何が衰退し、なにが勃興するのか。それは、まだ考えていません。