amazonの書籍全文検索&ブログなど

北村氏によるアンテナ「徒読」
http://a.hatena.ne.jp/kits/
から「ほら貝」
http://www.horagai.com/www/home.htm
で、アマゾン(米国)が書籍の全文検索サービスをはじめたことを知る。
基本的には、立ち読みと同じで、カタログとしてのサンプルという名目にして、著作権などを回避しているところが、ポイント。すでに書籍12万冊3300万ページの全文検索が可能だそうだ。
で、そこから
梅田望夫・英語で読むITトレンド」
http://blog.japan.cnet.com/umeda/
にリンクを辿る。
アマゾン関係は
http://blog.japan.cnet.com/umeda/archives/000787.html
http://blog.japan.cnet.com/umeda/archives/000794.html
の二つ。
しかし、今現在最新の
http://blog.japan.cnet.com/umeda/archives/000799.html
で、触れられたブログについての記事もまた、アマゾンの試みと関係がある。
前置きが長くなったけど、
そこから引用
「これまでモノを書いて某かの情報を発信してきた人たちが、いかに「ほんのわずか」な存在であったか、そしてその「ほんのわずか」な存在は決して選ばれた存在だなんて大それたものではなく、その他の人々(Blogの質という意味でのたとえば上位0.1%-1%くらいの層)に比べて、取り立てて格段に優れているというようなことはない、という事実である。」
 この後「文学のような芸術的領域を除き」となっているけれど、そんなことはないだろう、と僕は思う。
 文章を出版し公表するという権限は、非常に限定されていて、それらは、単なる能力や人気だけではなく、いろんな条件下で限定されたものだったわけだ。いわば特権階級なわけで、だからこそ、多くの人は、非常に安価でも、薄給でも、あるいは自分で金を払っても、出版したい、と思うわけだ。
 けれども、インターネットはこの特権階級の特権をかなりの部分、無にしてしまうのではないか。
 まあ、これはネットが出てきたときから言われてきたことだけども、それが、安価に常時接続でき、パソコンが普及し、そしてブログの登場(webページを作るのもそれなりの関門があったが、ブログの流行はこの関門を低くした)によって、老若男女問わず、気軽に、それほどパソコンの知識やスキルがなくても発信できるとなれば、出版とはなんなのか、金を払って本を買い、情報を得るということは、もういらないんじゃないか、という問題が、かなり切実になっていている気がします。
 僕自身でいえば、もはや雑誌は買う必然性を感じません。
 しかし、新聞はとっているけどね。
 もっと進んで、携帯電話などで、もっと安価、安易に新聞記事が読めるようになったら、印刷媒体の新聞はいらなくなる可能性が高いですね。
 こういった状況で、小説を書く、小説を本にして売る、ことの意味を問い直してみるのは、無駄ではないと思います。結論は、僕にはありませんが。
 「梅田望夫・英語で読むITトレンド」では、Googleについてもいろいろ取り上げられていて、それを読んでいると、Amazonにしろ、Googleにしろ、インターネットというテクノロジーをつかって、かっこいい未来の理想を語っていて、ワクワクしてくる。それが商売のためのものであるとしても、なにか、わからないけれどもドキドキさせてくれる。Yahooの創立当時もそんな感じだったと思う。