日常

どこかで聞いた話だが、Webの文章はくだけた口調と、長いのが特徴だそうだ。
くだけた口調と、長い文章とは関係がある。
たとえば、「〜だよね」といった口調は、文章なら、「〜だ」と書くはずで、これだけでも二文字多い。
「ええっと、なんていったかはっきり思い出せないから、思い出したら書くことにしよう」というような文章は、いままでだったら書かなかったのではないだろうか。
 くだけた調子になるのは、Webがどこか日常の延長線上、井戸端で噂話をする感覚をもっていて、見ず知らずのひとが批判的に読んでいるかもしれない、という緊張感がないせいだろう。

 文章が長い要因はもちろん次数制限がないからだが、それだけでなく、キーボードで書くことも大きな要因であると思える。

 というのも、私はもっぱら、PocketPCの手書き入力を使っているのだが、家ではキーボードを使っていて、手書きとキーボードの違いを感じているからだ。

 一言でいえば、手書きはめんどくさい。書くスピードも遅い。逆にキーボードは速い。どんどん書ける。考えるスピードとほとんど変わらない。修正も楽だ。考えてから書くのではなく、とりあえず書いてみて、それから文章を直す、といった書き方をしている。
 ところが、手書きだと、入力に手間がかかるので、できるだけ無駄な書きこみは避けたいと思う。そうなると、文章をどう書くか決めてから書くことになる。
 とりあえず、今私の感覚からいえば、速いからキーボードの方がいい、とは言い切れない、ということになる。
 手間をかけ、時間をかけ、書くことは、やはり、文章の密度を濃くしているような気がする。

 キーボードだと結構だらだらと書いてしまう。だから逆に書かないことを心がけることが大切なのかもしれないと思い始めている。
 なんでもどんどん書いていくのではなく、ちょっと立ち止まってみることも必要ではないのか。

 考えて、必要な文章だけを書く。むかしの文章の方が密度が濃い気がするのはそうしていたからではないか。

 ちなみに、この日記、透明思考は手書き、日常はキーボードで書いています。