私が広告を嫌うのは、それが基本的に、欠落をことさら取り上げて、見せつけるものであることにある。
広告は、物を売ることが目的として作られる。
人に対して、それが買いたいと思わせるために作られる。
何かが欲しい、何かを買いたい、買うことで何かを満たしたい。
それは結果的に、「今の私には、何かが欠けている」というメッセージになる。
現状を否定する。
そして、それが肯定されるためには、金を使い、何かを買わなくてはならない。
そういうメッセージが広告というものの、本質にある。

どこもかしこも広告に囲まれた世界に、あなたは住んでいる。
つねに、あなたは「あなたは完全ではない」というメッセージを浴びせられながら生きている。
おいしいものを食べていない。健康ではない。お金持ちではない。喜びがたりない。センスがたりない。体型が理想的ではない。給料がたりない。時間がたりない。便利さがたりない。頭の良さがたりない。自由がたりない。愛がたりない。

あなたはこんな人生で満足なのですか?
あなたはこんな人生で満足なのですか?
あなたはこんな人生で満足なのですか?
あなたはこんな人生で満足なのですか?
あなたはこんな人生で満足なのですか?
あなたはこんな人生で満足なのですか?

ずっと、そんなメッセージの中で生きていて、
まともな精神を持つことができていることに、もっと驚くべきだ。
一瞬でも喜びがあることに、すばらしいことだと、思うべきだ。

満足すべき人生だと思いなさい、というわけではないが、
こんな広告の馬鹿げたメッセージを真に受けてしまうよりも、ずっと
あなたの人生は良いものだ。

もし、あなたに改善すべき点があるとしても、
それはまずまちがいなく、金では解決出来ない。
一歩一歩、少しずつ地道な努力を続けて行くことでしか、解決出来ない。
苦しいことに耐え、またそれを乗り越えて行くことでしか、ほんとうに欲しいものは
手に入らない。

TVを見るな、雑誌を捨てろ、看板を見るな。金を使うな。
あなたは金を使うために、いきているんじゃない。