木村敏「分裂病と他者」

分裂病になる人は、子どもの頃から「いい子」だったと言われることが多い。現在私が診ている二一歳の女性は、中学生までは明るい人気者で、「人の悪口を絶対言わない、嘘は絶対につかない、誰にでも親切」という三つの際立った特徴を持っていたという。この種の「うらおもてのなさ」は、かなりの数の分裂病者に認められる特性であって、自己の内面における自他の「弁証法的」な関係が十分に成立していないことと深いつながりのあることだろうと思われる」
木村敏分裂病と他者」ちくま学芸文庫p.289


 あっさりと書かれているけれども、これはある意味とんでもないことを書いているのではないか。「うらおもてのない人間になれ」というのは、親も学校も、社会全体として、それが理想の人間であると謳っているではないか。「人の悪口を絶対言わない、嘘は絶対につかない、誰にでも親切」というような人間が、分裂病になるのだとしたら、社会は、まるで、分裂病になれと言っているようなものではないか。

「自己の内面における自他の「弁証法的」な関係が十分に成立していない」というのは、どういう意味だろう。結局、人間はみんな、「人の悪口は言うし、嘘はつくし、特定のだれかをえこひいきする」ものなのだ。たとえば、子どもに「赤信号では止まりなさい」といいながら、信号を無視するような、ある種のいいかげんさ、が人には必要だということだ。だからといって、「赤信号でもわたっていいよ」なんてことは言えない。ルールはルールだ。しかし、それは破られることもある。いいかげんに、あるいは時には意図的にルールを逸脱することもある。

 それは、矛盾している、と捉えられるかもしれない。しかし、その矛盾をみとめなければ、病になってしまう。私達は矛盾している。まずはそれが前提だ。